wittgenstein
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| wittgenstein [2026/02/05 22:24] – mizupyon | wittgenstein [2026/02/06 15:34] (現在) – mizupyon | ||
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| ・哲学ワールドはそもそも最初から言葉の誤用によってめちゃくちゃ | ・哲学ワールドはそもそも最初から言葉の誤用によってめちゃくちゃ | ||
| - | ・神や美など、言語で真偽の検証条件(=言語との対応確認方法)が記述できないものについては、事実を記述する用途として論理形式が使えず、論理的に記述できないので、もう沈黙する事しかできない。(言語の限界) | + | ・神や美など、世界と言語の対応条件をプログラム(※比喩)のように論理的に記述できないものについては、事実を記述する用途として論理形式を使えず、論理的に記述できないため、もう沈黙する事しかできない。(言語の限界) |
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| - | 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」=論理形式が対応していないもの(美、人生、運命、神など)については、言語で論理的に記述できないため、正確に語ることができない。もう黙るしかない。(※「神秘は言語化不能」ではない。) | + | 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」=世界と言語の対応条件をプログラム(※比喩)のように論理的に記述できないもの(美、人生、運命、神など)については、事実を記述する用途として論理形式を使えず、論理的に記述できないため、もう黙るしかない。(※「神秘は言語化不能」という意味ではない。) |
| 論理形式=言語と世界を対応させる形式 | 論理形式=言語と世界を対応させる形式 | ||
| 像=論理形式に従い、言語で記述された現実に存在しうるモデル(事態・配置)。設計図書き写しみたいなもの。 | 像=論理形式に従い、言語で記述された現実に存在しうるモデル(事態・配置)。設計図書き写しみたいなもの。 | ||
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| + | 初期ウィトゲンシュタインは、「世界と言語は対応している」と信じていた。 | ||
| ◆以下、後期ウィトゲンシュタイン(『哲学探究』系) | ◆以下、後期ウィトゲンシュタイン(『哲学探究』系) | ||
| 行 35: | 行 37: | ||
| 個人が言葉の意味を独自に決めても、意味が流通しないと、成立してない。 | 個人が言葉の意味を独自に決めても、意味が流通しないと、成立してない。 | ||
| - | 編集:26/ | + | 家族的類似 = 部分的に似てる共通項があるものと、別の部分的に似てる共通項があるものが、連鎖的に重なり合ってグループなっている状態。グループ内で共通の構成要素(本質)はない。(AとBは⭐︎部分が似ている。BとCは◇部分が似ている。AとBとCは要素連鎖のまとまりで1グループ)(ゲームなどが典型例) |
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| + | 編集:26/ | ||
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wittgenstein.1770297847.txt.gz · 最終更新: 2026/02/05 22:24 by mizupyon