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◾️ハイデガー(1889〜1976年)
人間を主体ではなく様式・フォーマットとして捉えた点がシャープ。
◆前期ハイデガー
存在(前期ハイデガー)=「ある」の成立構造
存在者=「ある」(観念・事象・フィクション・夢・記憶も含まれる)もの全部。
存在(「ある」の成立構造)は、存在者が世界内の連関の中で「役割としての意味」において出会われる仕方(ハンマーは叩くという行為連関の中で、椅子は座るという行為連関の中で出会われる)。
出会われる存在者について、何であるか(本質(固有・不変の意味))より、どのように機能しているか(役割としての意味)を優先して考えた。
現存在(=ダーザイン)=存在(「ある」ということ一般)を問題としうる存在様式(=人間の存在様式)。要するに、「「ある」とは何か?」という問いが可能な存在様式。
気遣い=気疲れ存在
道具=「非顕現道具」とでも言うといいのかも。対象として意識されずに機能(役割を果たしている)しているもの。対象として意識されると「物」(「顕現物」とでも言うといいのかも)となる。
投企=未来の可能性と切り離せない現在の存在構造。(個人版:未来の自分の可能性を前提として成立している現在のあり方)
死の先駆=死を意識する事ではじめて、自己の人生に本気の覚悟が生まれる。自己の人生の意味に対してガチになる。(意味が幻想でしかない事も忘れるほどに)
滞留=世界を認識する以前から、すでに世界の中に深く絡まって、抜け出せないまま留まっている状態
◆後期ハイデガー
存在(後期ハイデガー)=「ある」が生起する出来事
存在(「ある」が生起する出来事)は、縁起的(※注釈者による比喩)に成立する。そのありように応じて「役割としての意味」は二次的に立ち現れる(※人間の主観的解釈ではない)(同じスマホでも、出来事のありようによって、通信機器としても、文鎮(本を押さえる)としても、異なる「役割としての意味」が立ち現れる。)。
後期ハイデガーは、縁起をシステム(構造)としてではなく、出来事(現象)として語った。(縁起のシステムが「なぜそうなるのか」という謎にはそういうモンとして触れなかった)
後期ハイデガーは、存在(「ある」が生起する出来事)を説明可能なシステム(構造)としてではなく、神秘(=秘匿性)を伴う出来事(現象)として語った(存在の生起について形而上学的な回答をしなかった)。外から見ると神秘主義に見え、哲学という感じに見えない。
ハイデガーが革新的だったのは、プラトン以来続いてきた「存在するものには固有の固定的・不変的な本質がある」という西洋哲学の前提を退け、「固有の本質」よりも「役割としての意味」で捉え直した点にある。
ハイデガーは、西洋の「本質」(固定的・普遍的な意味)病を解体したが、前期からの「役割としての意味」構造を完全に放棄したわけではない。ハイデガーは「そもそも世界に意味は無く、意味は人間がつけているだけ」という立場ではない。
編集:26/02/22
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