◾️A・J・エイヤー(1910〜1989年)
著書:『言語・真理・論理』他
検証原理=その文単体で、経験的に検証可能な条件が示されてる?
検証原理をクリアしないと無意味(=事実を述べていると見做せない)な文とされ、哲学で扱う意味がない。(エイヤーのスタンス)
検証原理がラッセルの記述論理との違う点は、文単体で成立するかを見るところと、真偽以前の検証条件が成立するかを見るところ(※真偽も重要)。
〈検証原理で無意味な文とされる例〉
・今のフランス国王はハゲ。(国王が存在しないと知っている者にとってはそもそも前提がおかしい。検証条件が成立しない。エイヤー的には、国王が存在しないと知らない者にとっては、検証条件が一見成立しているだけで、実は成立していない事を知らない。)
・この界隈の代表者はこう考える。(「この界隈」だけではわからん。あと代表者の選定規則がないと検証不能)
・普通は違う。(何をもって「普通」か明示されていない。何と違うかも明示されていない。よって検証条件が不十分)
・世界には意味がある。(何を経験すれば「意味がある」が検証可能か明示されていない)
・世界は幻。(測定方法が明示されていないので検証不能)
・この行為は悪。(「この行為」がなんなのか明示されていない。「悪」は価値判断のため、事実としては検証不能)
・歴史が証明する。(「歴史」の定義が不明であり、何を証明するのかが明示されていないため、検証条件が不十分)
・成功者は努力している。(「成功者」の定義が不明。「努力」の定義が不明。よって検証条件が不十分)
・あの人の本心はこれこれだ。(「あの人」とは誰かが明示されていない。本心を測定する方法が明示されていないので、検証条件が不十分)
・私は嘘つき(嘘つきである事をこの文単体では検証条件が不十分)
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検証原理に対し、「検証原理自体が検証条件を満たさない」という批判が起きた。エイヤーは「検証原理は真理ではなく作業ルール」(意訳)と説明した。
情動主義(エモーティヴィズム)=倫理文は検証可能な事実の記述ではなく、感情や態度の表明。別にダメではない。
編集:26/02/04
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