◾️仏教哲学
仏教は苦の滅却のために普遍不成立という仮真理を使うプラグマティズム。
構造的には「苦が減るならどの宗派でもOK」。
仏教哲学の核は「普遍不成立ルール」(普遍はあるかもしれんがうちの教義では「普遍不成立ルール」で世界を見ます)。「真理」という語は普遍を意味する語としては使わない(「役立つ・正しい見方」程度)。
空=事象は縁起(関係)によってしか成立しえないという仕組み。
縁起=関係(単独成立の否定)
物質も縁起によって生起している。成立条件については概念的に全く語り得ない(「わからん」すら語り得ない)(概念立たず)(ン、んん〜と語れなくなる)。そして仏教は解明係でないのでその問いは取り扱わない。
仏教がこの世を全部わかってるかのようなイメージは誤りであり、仏教は苦の滅却特化型な教え。
空や縁起の仕組みも普遍ではない。
無我=我はあるが、主体(永遠・不変・普遍の存在)(アートマン)ではない。「我が無い」ではない。「我即無主体」とかのほうがわかりやすい。
無分別(仏教バージョン)=分別機能の作動をあるがまま見ている状態(※見ている主体は立っていない。体験な状態)
実体(仏教バージョン)=縁起によらず独立している、永遠・不変・普遍の独立存在。(※永遠ではなく単発で短期間存在する独立存在は想定されていない)
実体なし(仏教バージョン)=実体(仏教バージョン)は無い。全ては縁起で成立している。(空思想)
東洋哲学において、「主体」「実体」という語は「永遠・不変・普遍の存在」という意味がある。
人間の意識は主体ではなく「我」なので、メタ認知は「メタ我(主体なし)」とでも言うといいのかもしれない?
仏教は「普遍なし!」と「苦の滅却」をセットな理論。
仏教哲学は「普遍なし」を前提にして導き出された形而上概念ワールド。「普遍無し」のマニア。
編集:26/02/03
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