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◾️ヘーゲル(1770〜1831年)

まず精神(マクロな精神存在/理念・ロゴス)があり、人間や世界は精神(マクロな精神存在)の顕れ。

絶対精神=精神(マクロな精神存在/理念・ロゴス)が、人間や世界が自身の顕れであると理解した状態。マクロな精神存在による自己理解。自然法則・自然現象も精神(マクロな精神存在/理念・ロゴス)が原因なのかは、曖昧。

精神(マクロな精神存在)の本質は自由。

精神(マクロな精神存在)の自己理解が進む=精神(マクロな精神存在)が自己の本質が自由である事を理解していく

止揚(アウフへーベン)=自己の規定(自己定義)に限界(自己矛盾)が訪れ、本質を崩さずに包括的な自己の再定義する(枠組みを更新する)こと。1回きり。

弁証法(ヘーゲル版)=止揚の連鎖運動

歴史は自由概念が弁証法(ヘーゲル版)によって洗練・制度化されていく過程である。絶対精神の段階においては自由は制度で保証されるべきものとなっており、精神(マクロな精神存在)がそれを自己理解する。(絶対精神の段階では自由の制度実装は完璧ではない)

精神(マクロな精神存在)における自由:自己完結し、全てが必然だと知る事

人間における自由:社会保障ありつつ自己決定できる自由

人間における自由は精神(マクロな精神存在)における自由の顕れである。(※無理やり感ないか?) (※「宇宙の精神は隷属しない自由ぶり」みたいなロマンでは?)

精神現象学=個人の精神は精神(マクロな精神存在)の顕れであり、個人は自分の思考・判断・運動が精神(マクロな精神存在)の運動である事を理解していく。

人格の相互承認=人格は互いに自由の主体として扱い合うルールによって成立する。

編集:26/02/03


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hegel.txt · 最終更新: 2026/02/03 23:28 by mizupyon

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