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sartre

◾️サルトル(1905〜1980年)

著書:『存在と無』他

自由は責任である:「人間は自由であることを宣告されている」。「自由の刑」に処されている。人間は自由から逃げられず、自由は責任なので、責任から逃れられない。

自由の定義が「〜からの自由」(脱却系)でなく「〜をする自由」(選択系)。

実存は本質に先立つ=意味付けされてない存在(人間限定)が先にあって、意味は後からついていく(=ついてしまう)。本質を自己決定せよとはサルトルは言ってない。

「自由と責任」は社会内では「権限と責任」であり、それは人工物。(註釈者注:意訳です)

「自由と責任」は自然界的には「因果応報」(※道徳的・倫理的意味は含まない)。(註釈者注:意訳です)

即自存在=自己に対するメタ認知が無い存在。単なるモノ。(註釈者注:動物は即自存在的?)

対自存在=自己に対するメタ認知がある存在。メタ認知のために自己と同一化できない。

対他存在=他者によって勝手に意味付け・規定されてしまう存在

人間は対自存在であり対他存在でもある。

他者のまなざし=他者によって勝手に意味付け・規定されてしまう事。自己がモノ(即自存在)として扱われ、主体性が剥奪される。(主体にとっての被害用語)

「地獄とは他人である」=他者のまなざしにより自己が固定され覆せない状態の比喩。(サルトル作の戯曲で出てくるフレーズ)

悪い信仰(自己欺瞞)=自由(=責任)を怖れ直視せず、自己をモノ(即自存在)だと思い込む。固定された役割に逃げる。

無(サルトル版)=未確定、非同一、ズレ、否定可能性、役割からの距離。(何もないと意味ではない)(註釈者注:「無」だとわかりにくいので「不和性」とでも言うといいのかもね)

世界に無(サルトル版)はそもそも無いが、人間は無(サルトル版)を生み出してしまう。

人間は自己に無(サルトル版)を生み出してしまうので自己の本質を永遠に固定できない。(=自由(=責任)であらざるをえない)

神は不可能:即自存在(完璧な充満)と対自存在(自由・欠如)を同時に持つ存在=神は論理的にありえない。人間はその神になろうと無駄な努力を永遠に繰り返してしまう(=「無用の情熱」)。(※註釈者注:仏教徒からしたら対自性を手放せば?となるような)

編集:26/02/05


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sartre.txt · 最終更新: 2026/02/05 15:44 by mizupyon

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