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sartre [2026/01/15 16:21] – 作成 mizupyonsartre [2026/02/05 15:44] (現在) mizupyon
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 ◾️サルトル(1905〜1980年) ◾️サルトル(1905〜1980年)
  
-「自由責任」は社会内では「権限と責任」であり、それは人工物。(意訳)+著書:『存在無』他
  
-自由責任は自然界的には因果応報(※道徳的・倫理的意味含まない)+自由責任である:「人間は自由であることを宣告されている」。自由の刑に処されている。人間自由から逃げられず、自由は責任なので、責任から逃れられない。
  
-即自存在=自己に対するメタ認知が無い存在。単なるモノ。動物は即自存在的?+自由の定義が「〜からの自由」(脱却系)でなく「〜をする自由」(選択系)。 
 + 
 +実存は本質に先立つ=意味付けされてない存在(人間限定)が先にあって、意味は後からついていく(=ついてしまう)。本質を自己決定せよとはサルトルは言ってない。 
 + 
 +「自由と責任」は社会内では「権限と責任」であり、それは人工物。(註釈者注:意訳です) 
 + 
 +「自由と責任」は自然界的には「因果応報」(※道徳的・倫理的意味は含まない)。(註釈者注:意訳です) 
 + 
 +即自存在=自己に対するメタ認知が無い存在。単なるモノ。(註釈者注:動物は即自存在的?)
  
 対自存在=自己に対するメタ認知がある存在。メタ認知のために自己と同一化できない。 対自存在=自己に対するメタ認知がある存在。メタ認知のために自己と同一化できない。
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 人間は対自存在であり対他存在でもある。 人間は対自存在であり対他存在でもある。
  
-まなざし=他者によって勝手に意味付け・規定されてしまう事。自己がモノ(即自存在)として扱われ、主体性が剥奪される。(主体にとっての被害用語)+他者のまなざし=他者によって勝手に意味付け・規定されてしまう事。自己がモノ(即自存在)として扱われ、主体性が剥奪される。(主体にとっての被害用語)
  
-自由へ運命づけられている=自由され人間は自由から逃げられず、自由は責任なので、責任を引き受け事しかできない。+「地獄は他人であ他者まなざしより自己が固定され覆せな状態の比喩(サルトル作戯曲出てくフレーズ)
  
-自由義が「〜からの自由」(脱却系)でなく「する由」(選択系)。+悪い信仰(自己欺瞞)=自由(=責任)を怖れ直視せず、自己をモノ(即自存在)だと思い込む。固された役割に逃げる。 
 + 
 +無(サルトル版)=未確定、非同一、ズレ、否定可能性、役割からの距離。(何もないと意味い)(註釈者注:「無」だとわかりにいので不和性」とでも言うといいのかもね) 
 + 
 +世界に無(サルトル版)はそもそも無いが、人間は無(サルトル版)生み出してしまう。 
 + 
 +人間は己に無(サルトル版)を生み出してしまうので自己の本質を永遠に固定できない(=自由(=責任)であらざるをえない)
  
-実存本質先立つ=意味付けされてない存在(人間限定)が先あっ、意味は後からついていく。+不可能:即自存在(完璧な充満)と対自存在(自由・欠如)を同時存在神は論理的にありえない人間はその神なろうと無駄な努力を永遠に繰り返ししまう(=「無用の情熱」)。(※註釈者注:仏教徒からしたら対自性を手放せば?となるような)
  
-編集:26/01/15+編集:26/02/05
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sartre.1768461669.txt.gz · 最終更新: 2026/01/15 16:21 by mizupyon

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